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受賞者インタビュー

第22回日本・フランス現代美術世界展 大賞:熊谷睦男
2021年8月5日(木)から15日(日)国立新美術館3A3B「第22回日本・フランス現代美術世界展」大賞の受賞インタビューです。
JIAS日本国際美術家協会主催にて22回目を迎えた本展は、昨年に続き国立新美術館(東京・六本木)3A・3B室にて国内外作家総勢347名による500点が見事な展覧を魅せ、去る2021年8月5日(木)から15日(日)までの会期を無事終了した。
本展にて総勢347名の中から大賞を受賞した作家へインタビューが行われた。

●展覧会報告ページはこちらより
「第22回日本・フランス現代美術世界展」レポート
第22回日本・フランス現代美術世界展 大賞受賞作品

熊谷 睦男 「延年の舞・老女<鎮魂20>」 油彩 100.0×80.3

  • 第22回日本・フランス現代美術世界展会場

  • 国立新美術館3A3B室風景より

大賞受賞インタビュー
震災で生き残った絵描きの一人として成すことは、多くの犠牲者の鎮魂を創作を通じて祈願することと思い立ち、鎮魂の願いを託しています


Q:この度は大賞受賞おめでとうございます。まずは感想をお聞かせください。

全く予期しない受賞でビックリしました。同時に公職退任後の古希からの再挑戦として、国内画壇から国際画壇にスタンスを変た2004年から18年になり、これまで出品を続けてきた集大成ともなる受賞で感慨無量の想いです。

アトリエにて

この想いを顧みますと、日本風土を象徴するモチーフを探索中に毛越寺「延年の舞・老女」と出会い、モチーフとして制作した第1作が、2006年パリ国際サロンでロジェ・ヴイヨ賞を受賞しました。その副賞としてロジエ・ヴイヨ氏直筆の寸評原稿をいただき、その翻訳文を覧て、自分の想いより遙かに深遠な論評に畏敬の念を抱くと共に、モチーフに内在する精神性に覚醒させられ、イメージを作り出すバック構成に試行錯誤しながら制作を継続して、2009年に同展で大賞を受賞し評価されました。これを契機により深化した表現を模索しながらライフ・モチーフとして制作するようになりました。

その後間もなく、毛越寺を含む平泉藤原文化が世界文化遺産に登録されたことから、さらにその精神性の表現の深化を求めて、ロジェ・ヴイヨ氏寸評の“シャーマニズムの根源”となり得る宗教的事象を仏教世界に係る文献などから収集し検討しながら制作を継続していました。

アトリエ内制作スペース

そうした中で、2011.3.11東日本大震災が発生して未曾有の大津波で故郷の市街地が壊滅し、海岸域の漁港集落、気仙川河口から5キロ上流の沿岸集落までの全てが壊滅して、親族を始め多くの友人、知人を失い茫然自失していました。(※熊谷氏による震災の報告は陸前高田チャリティープロジェクト内に多く掲載しております)

■熊谷氏による震災レポート


そのうち時の経過に伴い、震災で生き残った絵描きの一人として成すことは、多くの犠牲者の鎮魂を創作を通じて祈願することと思い立ち、世界遺産の光明となる老女の舞に鎮魂の願いを託して、イメージを具象化するための構成資料を収集・検討しながら制作し、2012年スペイン美術賞展で大賞に評価されていました。

この度の受賞で、以前の受賞と合せて、JIAS/欧美主催の国際展全てで評価していただいたことになり、震災犠牲者全ての御霊への鎮魂の願いが通じたことと思い、感慨ひとしおであり、関係各位に感謝しております。
Q:この作品の制作時に特に工夫された点や気をつけた点ありましたか?
モチーフの延年の舞・老女は「長寿を慶び長寿に感謝して、五穀豊穣と世の安寧を神仏に祈願する」という千年の古から伝承されてきた日本古来の舞で、国の無形民俗文化財に指定されております。その伝統的な仏教世界の世界観を表現するために迦陵頻伽(かりようびんが)や曼陀羅、仏像、飛天など古来の文化財をモデルにアレンジしてバック構成していました。

震災後からは、犠牲者の霊を“極楽浄土へ誘われ往生し成仏される”という仏教思想に因んで、平安時代の阿弥陀如来来迎図を中心に菩薩や神將などのモデルを立体的な線描にアレンジしてバック構成し、鎮魂のイメージが連想できる浄土楽土の精神世界を表現することに精力を使っています。
  • 右手前がアトリエ

  • 在りし日の風景が描かれた「晩秋・広田湾鳥瞰図」油彩M200

制作中の作品

この世界観は現実の世界でなく、伝統的な舞の持つ特性と多くの犠牲者への追悼の思いを込めた鎮魂の願いを象徴化する精神世界を求めるもので日本伝統の線と面の画法とモデレー画法の特性を活かした表現技法で具象化し、色調・空間感で画面全体の効果が昇華・普遍化された表現になることを志向しています。しかし、種々模索しながら、未だ混沌とした心象の中で試行しながらの制作が続いています。


Q:この作品、または普段の制作のモチーフはどのようにきめていますか?
前述のとおりで、ライフ・モチーフとしている延年の舞・老女は、毛越寺の正月法会(ほうえ)の二十日夜祭・火祭りの後に深夜から常行堂で奉納演舞する十数種類ある演目の中の一つで、音曲の無い、手に持つ鈴の音だけが時々響く静寂の中で舞う神秘的で幻想的な雰囲気があり、震災犠牲者の鎮魂の願いを託すのに相応しい伝統的なモデルとして捉え“鎮魂シリーズ”として制作を続けています。(延年の舞は、毛越寺の正式法会の常行堂では予約以外の一般参観できないため、一般向けに毛越寺の四季の催事で観光を兼ねて、境内の能舞台で定期的に公開されています。)
地元美術展では、遺しておきたい故郷の風景や情景を中心に制作した作品も発表しています。

制作に使用している画材 絞りだし

Q:制作場所や時間など、いつもどのような創作スタイルですか?
制作場所は平成6年に新改築した自宅で、住居と廊下で継いだアトリエ(約50㎡)です。教員時代までは、旧家屋の8畳間がアトリエでした。その後の教育事務所勤務になってから旧家屋に接続して増築したアトリエ(約30㎡)でしました。制作時間は帰宅してからの夜間と日曜日や祝日などの休日が主でした。
また、教員時代には、連休期間に、東北中の漁港集落を中心にモチーフを求めてスケッチしながら走り回っていましたが、学校で重責の校務を担うようになったり、教育事務所勤務になると事務や研究で勤務時間外に及ぶことが多くなり、時間的に取材の範囲も狭められて、思うに任せないことが多くありました。
平成6年以降の市教育委員会勤務になってからは、勤務が特別職のため昼夜から土日・祝日にも及び休日が少ない激務だったので、朝5時~7時までを制作時間にしていました。

退任後の古希からは、ようやく日中の自由時間に制作出来るようになりました。“鎮魂シリーズ”の制作と共に、四季に応じて地域の風景や情景の取材を気儘にしながら、年10数点のうち一作は大作で制作するように心がけており、絵描きを楽しんでいます。
Q:彩光会など、地域でも画家としての活動を活発にされていると思います。思いをお聞かせください。
彩光会の拠点となる気仙地域の“気仙郡”という地名は、平安初期編纂の勅撰史誌・日本後紀に明記されており、当時の範囲は現在の宮城県気仙沼市、唐桑町から岩手県釜石市の唐丹町までの南三陸沿岸地域でした。高田はその泉地区(人が多く集まる所)で政治・経済・文化の中心地として明治維新まで受け継がれてきました。こうした歴史的な背景から現在の気仙地区二市一町(陸前高田市、大船渡市、気仙郡住田町)は、気仙は一つという気風を維持しています。私はこの会に美術教師として故郷高田に赴任した昭和36年(1961)第3回彩光会展から加入し、現在に至っています。

彩光会会員スタッフ

彩光会

こうした気風の中で彩光会は、昭和33年(1958)高田町有志の草人社(くさびとしゃ)(昭和11年(1936)結成)を母体に気仙地域の先人有志により創立された団体です。

会長就任以来、会員の協力のもと先人の遺志を受け継ぎ、地方にあって“井の中の蛙”にならないよう国内外画壇への出品を薦めたり、図録や会報の発行、HPの運営などの活動を続け、気仙から世界への視野を広げる窓口になると思い期待しています。

他に生涯学習講座で美術教室講師、美術サークル講師なども勤めています。公職退任後には市国際交流協会会長に、その後2019年まで市芸術文化協会会長と、兼務で気仙地区芸術文化協会連絡協議会会長として勤めて、地域芸術文化活動にも意を尽くしてきました。

彩友会 活動風景より

彩友会会員スタッフ

彩光会ホームページ活動はホームページからもご覧ください。
彩光会ホームページ


こうした活動を通じて、地域自治体の為政者との意思疎通を図ること、サークルの愛好者と共に活動することによって、地域の美術文化の振興に貢献できること、更に展示発表の場を開催し地域民の方々と広く交流し創作活動を理解し共有してくださるることを通して、地域全体の芸術文化が進展し発展することを期待しています。

三洋会会員スタッフ

Q:今後の課題や挑戦したいことなどありますか?

地元彩光会や各サークルを受け持つ後継指導者の育成が課題と思っています。会の中には優れた資質の持ち主も複数おり、その特性を発揮した創作への助言をしながら成長を見守っていますが、こうした人材の実力を高めると共に指導性の育成を図ることがこれからの課題と思っています。

国際展には、加齢も進み今年で米寿を迎えますが、制作出来る内はこれまで同様に“鎮魂シリーズ”の作品で挑戦し続けたいと思っています。
また、故郷の遺しておきたい風景や情景を、徒然に制作して、これまでと同様に地域に発表するよう心がけていきたいと思っています。

日曜パレット 指導風景

Q:これを見てくださる方になにかあれば、一言お願いします。
東日本大震災で壊滅的な被害を受けた我が故郷陸前高田市に対して、この10年間、欧州美術クラブから絶大なご支援をいただいております。ご支援・ご協力いただいた関係の皆様に心から感謝申し上げ、御礼申し上げます。

おかげをもちまして、被災地の復旧・復興も進み、インフラ整備はほぼ完了しております。復興した高田松原・震災祈りの紀念公園(奇跡の一本松周辺で国営)、震災津波伝承館(県営)、接続する国道道の駅周辺、中心市街地の商業施設や公共施設も整備されて賑わいも見られるようになりました。特にも震災復興事業で仙台から八戸までの高規格三陸道が全面開通しましたので、接続する市街地の道路環境も飛躍的に利便性が良くなりました。
一方、急激な人口減少により新住宅地の再編コミュニティーの復興が今後の課題であると思います。

太古から続く三陸リアスの雄大で変化に富んだ自然景観は今も変わらず、訪れる人々を広く優しく癒やしてくれます。整備された三陸道や三陸鉄道を利用して、スケッチがてら三陸トレイルへ脚を伸ばして、復興の現状を見ていただければ幸甚に存じます。

彩光会 会場風景より

  • 授賞式にてサロン・ドトーヌ会長から賞状の授与

  • パリ ギャラリー・デュ・マレ

  • 2012年パリ国際サロン展示風景

熊谷 睦男  画歴 プロフィール
1934年   岩手県陸前高田市高田町生まれ
1957年   岩手大学学芸・甲一・美術一科卒
1966〜89  創造美術会所属《‘66新人賞(会友)、’71金賞(会員)会員賞2回》
中学教諭、岩手県教委、中学校長、小学校長、陸前高田市教育委員会教育長等を経て、2004年より国際画壇への出品をつづける

出品歴(一部)
2010年   にほんばし・ラセーヌ企画個展「熊谷睦男の世界」展
2011年   盛岡市・盛久ギャラリー企画個展「熊谷睦男油彩画展」
2012年   盛岡市・盛久ギャラリー・東北六魂祭企画「棟方志功と熊谷睦男二人展」
2013〜21年 サロン・ドトーヌ入選出展
2014年   ギャラリー・デュ・マレ委託展示(3点)
2004~21  欧美国際公募美術賞展出品(ドイツ・オランダ・ベルギー、スペイン、アメリカ、メキシコ、ポルトガル、コルシカ、イタリア、フィンランド)
2007〜22年 ル・サロン入選出展(通算入選15回)

受賞
●ル・サロン展《‘12銅賞》
●欧美国際公募美術賞展《‘12スペイン展・大賞》
●パリ国際サロン《‘06ロジェ・ブイヨ賞・’09大賞、‘12ギャラリーデュマレ賞、‘16NEPU賞、‘17優秀賞》
●日本・フランス現代美術世界展《‘12&’15NEPU賞、‘14パリ国際サロン賞、‘21大賞》
他多数

所属
彩光会会長
ル・サロン永久会員
サロン・ドトーヌ会員
JIAS日本国際美術家協会会員 
NEPU創立会員
元創造美術会会員
ありがとうございました。

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